園長先生の「つぶやきコーナー」
つぶやきコーナーについて
「園長先生!ホームページに載せる一言を!!」と求められたことで応じることとなった。
目的やテーマ、締め切りなどは求めない。思いついた時、気ままに書いて欲しいと言うものであった。
それなら、と始めることにしました。よろしくお願いします。
未完
2026-07-01
6月10日、アントニ・ガウディの生誕100年の日、サグラダ・ファミリア、「イエスの塔」が完成との放映があった。1882年に着工されてから140年を超えた。正面入り口の「栄光のファサード」の完了には、まだ10年はかかるという。どこまでも「未完の教会」という。母語を異にする方々も「未完」を追及して止まない取り組みに励んでいる姿は美しい。
宮沢賢治が「未完成こそ偉大な完成だ」という言葉を残している。どこまでも「自分を問う」という求道の心を思った。
余計なことだが、千利休の「楽焼き」の茶碗も「未完の空白を含んでいる姿が、日本美では完全の美なのである」と熊倉功夫(林原美術館館長、日経新聞)が言っている。見えないところを考えさせる。同様に私たちの取り組みも完成を求めてどこまでも未完の活動である事を思う。
つばめの季節
2026-06-10
今年もツバメが飛来している。例年より早くやってきたように思う。いつものように2階の軒下に巣を造る。いつもと同じツバメが帰ってくると聞いた。不思議なことに昨年と全く同じ場所で子育てをしている。それに今年は1階の警報器の上にも巣が造られている。風や雨にもあたらず、外敵も来ない巣の下で子ども達が賑やかにおしゃべりしていても、心配している様子はない。
2階のツバメは今は巣立って、親鳥もヒナも新緑も一段と輝きを増し、芝生と木々草花の庭を勢いよく飛び交っている。
子ども達もあたり前の風景を楽しんでいる。
子育てと家庭の陶冶について思う昨今でもある。
2階のツバメは今は巣立って、親鳥もヒナも新緑も一段と輝きを増し、芝生と木々草花の庭を勢いよく飛び交っている。
子ども達もあたり前の風景を楽しんでいる。
子育てと家庭の陶冶について思う昨今でもある。
突然
2026-04-23
突然、ケラーの小説『村のロメオとユリア』がを思い浮かんだ。
よくよく思い返してみた。ホンの数日前に何かの記事に「バウンダリーboundary」という字が目についたことからだろう。その時は思いついてもいなかった。この小説を読んだのはもう昔の昔のこと。高校時代、文学作品にかぶれていた頃のことでもあったと思う。こうした経験をお持ちの方もおられることだろう。
農地の境界を巡って隣同士の両家が長年争っていて、その両家の若い子女の純粋で透明な愛が死によって結ばれるといった悲惨な悲劇で終わる内容だったと思う。
調べてみると、ドイツ文学者の西郷浩は、「チューリッヒ金曜新聞」で1846年9月3日の事件報道にスイスのゲーテと言われるケラーは「今日必要なことは,先ず民衆を彼ら自身の純粋な人間性の中へつれもどすことである.それで異様で風変りなもの、つまり、生活に直結しない浅薄な好みを排し,冒険綺譚口碑伝説の類は,極力さけ,かれらの生活の場で純粋な人間性の権威を指摘し,かれらをして人間としての自負心をもたらしめるような題材を選らばねばならない」と述べていることを紹介している。
ちなみにこの『村のロメオとユリア』はこの事件の10年後1856年に書かれ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は260年以上も遡る1595年に上演されていたことを改めて知った。
思えば、「人間」は交叉し反転、相互に嵌入するの性を生きる存在であると関心を寄せている和辻哲郎(倫理)、坂部恵(哲学)、土屋恵一郎(法哲学)、鷲田清一(臨床哲学)高橋理顕(建築家)…らがいる。またindividualを個人と訳されているが、「分人」と訳すべしという方もいると聞く。
よくよく思い返してみた。ホンの数日前に何かの記事に「バウンダリーboundary」という字が目についたことからだろう。その時は思いついてもいなかった。この小説を読んだのはもう昔の昔のこと。高校時代、文学作品にかぶれていた頃のことでもあったと思う。こうした経験をお持ちの方もおられることだろう。
農地の境界を巡って隣同士の両家が長年争っていて、その両家の若い子女の純粋で透明な愛が死によって結ばれるといった悲惨な悲劇で終わる内容だったと思う。
調べてみると、ドイツ文学者の西郷浩は、「チューリッヒ金曜新聞」で1846年9月3日の事件報道にスイスのゲーテと言われるケラーは「今日必要なことは,先ず民衆を彼ら自身の純粋な人間性の中へつれもどすことである.それで異様で風変りなもの、つまり、生活に直結しない浅薄な好みを排し,冒険綺譚口碑伝説の類は,極力さけ,かれらの生活の場で純粋な人間性の権威を指摘し,かれらをして人間としての自負心をもたらしめるような題材を選らばねばならない」と述べていることを紹介している。
ちなみにこの『村のロメオとユリア』はこの事件の10年後1856年に書かれ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は260年以上も遡る1595年に上演されていたことを改めて知った。
思えば、「人間」は交叉し反転、相互に嵌入するの性を生きる存在であると関心を寄せている和辻哲郎(倫理)、坂部恵(哲学)、土屋恵一郎(法哲学)、鷲田清一(臨床哲学)高橋理顕(建築家)…らがいる。またindividualを個人と訳されているが、「分人」と訳すべしという方もいると聞く。
やしなう
2026-03-23
子どもの出生が年々少なくなっているという。
そうした環境の中にあって、虐待によって亡くなる子どもが増えている。これはどうしたことなのだろう。
世界の教師とも言われているペスタロッチの有名な言葉に、家庭での「生活が陶冶する」とうのがありますが、それは人柄を育てる、教養を積むことを意味していた。
こうした営みは大多数の家庭で行なわれていることでしょうが、現今、社会の「能力」に価値を置く風潮の影響か、家庭生活にまで持ち込まれ「人柄」を育てるよりより「能力」を育てることに偏っているのではないかと、いぶかしく思う出来事に出会うことが多くなった。
「ひと」が「人」として育てることの難しい時代ということだろうか。
「ひと」が「人」として育てることの難しい時代ということだろうか。
大雪
2026-02-16
40年ぶりの大雪、子ども達雪だるま、はかまくらつくり、雪投げに走り回る。歳を経たものとしては、忘れ失われていた「何か」が蘇ってくる光景に浸る時となった。




