園長先生の「つぶやきコーナー」
つぶやきコーナーについて
「園長先生!ホームページに載せる一言を!!」と求められたことで応じることとなった。
目的やテーマ、締め切りなどは求めない。思いついた時、気ままに書いて欲しいと言うものであった。
それなら、と始めることにしました。よろしくお願いします。
突然
2026-04-23
突然、ケラーの小説『村のロメオとユリア』がを思い浮かんだ。
よくよく思い返してみた。ホンの数日前に何かの記事に「バウンダリーboundary」という字が目についたことからだろう。その時は思いついてもいなかった。この小説を読んだのはもう昔の昔のこと。高校時代、文学作品にかぶれていた頃のことでもあったと思う。こうした経験をお持ちの方もおられることだろう。
農地の境界を巡って隣同士の両家が長年争っていて、その両家の若い子女の純粋で透明な愛が死によって結ばれるといった悲惨な悲劇で終わる内容だったと思う。
調べてみると、ドイツ文学者の西郷浩は、「チューリッヒ金曜新聞」で1846年9月3日の事件報道にスイスのゲーテと言われるケラーは「今日必要なことは,先ず民衆を彼ら自身の純粋な人間性の中へつれもどすことである.それで異様で風変りなもの、つまり、生活に直結しない浅薄な好みを排し,冒険綺譚口碑伝説の類は,極力さけ,かれらの生活の場で純粋な人間性の権威を指摘し,かれらをして人間としての自負心をもたらしめるような題材を選らばねばならない」と述べていることを紹介している。
ちなみにこの『村のロメオとユリア』はこの事件の10年後1856年に書かれ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は260年以上も遡る1595年に上演されていたことを改めて知った。
思えば、「人間」は交叉し反転、相互に嵌入するの性を生きる存在であると関心を寄せている和辻哲郎(倫理)、坂部恵(哲学)、土屋恵一郎(法哲学)、鷲田清一(臨床哲学)高橋理顕(建築家)…らがいる。またindividualを個人と訳されているが、「分人」と訳すべしという方もいると聞く。
よくよく思い返してみた。ホンの数日前に何かの記事に「バウンダリーboundary」という字が目についたことからだろう。その時は思いついてもいなかった。この小説を読んだのはもう昔の昔のこと。高校時代、文学作品にかぶれていた頃のことでもあったと思う。こうした経験をお持ちの方もおられることだろう。
農地の境界を巡って隣同士の両家が長年争っていて、その両家の若い子女の純粋で透明な愛が死によって結ばれるといった悲惨な悲劇で終わる内容だったと思う。
調べてみると、ドイツ文学者の西郷浩は、「チューリッヒ金曜新聞」で1846年9月3日の事件報道にスイスのゲーテと言われるケラーは「今日必要なことは,先ず民衆を彼ら自身の純粋な人間性の中へつれもどすことである.それで異様で風変りなもの、つまり、生活に直結しない浅薄な好みを排し,冒険綺譚口碑伝説の類は,極力さけ,かれらの生活の場で純粋な人間性の権威を指摘し,かれらをして人間としての自負心をもたらしめるような題材を選らばねばならない」と述べていることを紹介している。
ちなみにこの『村のロメオとユリア』はこの事件の10年後1856年に書かれ、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は260年以上も遡る1595年に上演されていたことを改めて知った。
思えば、「人間」は交叉し反転、相互に嵌入するの性を生きる存在であると関心を寄せている和辻哲郎(倫理)、坂部恵(哲学)、土屋恵一郎(法哲学)、鷲田清一(臨床哲学)高橋理顕(建築家)…らがいる。またindividualを個人と訳されているが、「分人」と訳すべしという方もいると聞く。
やしなう
2026-03-23
子どもの出生が年々少なくなっているという。
そうした環境の中にあって、虐待によって亡くなる子どもが増えている。これはどうしたことなのだろう。
世界の教師とも言われているペスタロッチの有名な言葉に、家庭での「生活が陶冶する」とうのがありますが、それは人柄を育てる、教養を積むことを意味していた。
こうした営みは大多数の家庭で行なわれていることでしょうが、現今、社会の「能力」に価値を置く風潮の影響か、家庭生活にまで持ち込まれ「人柄」を育てるよりより「能力」を育てることに偏っているのではないかと、いぶかしく思う出来事に出会うことが多くなった。
「ひと」が「人」として育てることの難しい時代ということだろうか。
「ひと」が「人」として育てることの難しい時代ということだろうか。
大雪
2026-02-16
40年ぶりの大雪、子ども達雪だるま、はかまくらつくり、雪投げに走り回る。歳を経たものとしては、忘れ失われていた「何か」が蘇ってくる光景に浸る時となった。
節分
2026-02-16
今年も節分に先生方の4人が「鬼」にこだわった扮装で、ホームを訪問。凝りに凝った扮装をした鬼さんをどこかユーモラスで愛らしい。
子ども達も心得たもので、怖がったり、泣きを入れたり、おどけたりで福人となった子ども達は「鬼は外、福は内」と福豆を容赦なく投げつける。痛いのは鬼役の先生の方だ。
子ども達も心得たもので、怖がったり、泣きを入れたり、おどけたりで福人となった子ども達は「鬼は外、福は内」と福豆を容赦なく投げつける。痛いのは鬼役の先生の方だ。
穏やかな良き新年を迎えることができました。感謝です。
2026-01-21
ここのところ、日中のポカポカ陽気に上着を脱いで元気に遊ぶ子ども達は、大寒を迎え、急激な大寒波による気温低下にも拘らず、やはり外に飛び出して遊びまわる。元気だ。たくましい。うらやましい。こうした情景を見ていると、今は、あまり聞かなくなった言葉「子どもは風の子」を思い浮かべる。
「どっどど どどうど どどうど どどう ふきとばせ……」の、『風の又三郎』も吹き出した。
こんな子ども、いるなー、今も||。




